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メディアの危機ー(4):危機の本質

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mediaデジタル情報空間は、メディアの性格を大きく変えた。この環境では、メディアとコンテンツ/メッセージは固定的な関係から解き放たれ、ビジネス的に有意な結合をもとめて流動化し始める。「あるメディアのコンテンツはつねに別のメディアである」という、難解とされてきたマクルーハンのテーゼが、生きた意味を持ち始め、メディアの入れ子構造が、ビジネスの源泉となる。【連載第4回/鎌田博樹】

メディアの入れ子構造:ウォッチするもの、されるもの

デジタル情報空間は遍在する環境である。しかしこれは(それに働きかける意思と能力に応じて)受動的な包装ではなく能動的なプロセス(=メディア)となる。つまり、これを使ってコミュニケーション主体の頭脳あるいは意識(記憶、判断、表現…)の延長となるわけだ。Web以前、1980年代のSF界に登場したサイバーパンクが描いた世界は、思ったより早く実現された。このジャンルでは、「個人や集団がより大規模な構造(ネットワーク)に接続ないし取り込まれた状況」(Wikipedia)を一つの中心軸としているのだが、残念ながらこれは空想ではない。

nested_catsコンテクスト指向を可能とした新世代のインターネットによって、デジタル情報空間が紙から独立し、拡大・進化を始めた。そこで新しいメディアとなったのは、アマゾン (コマース)、アップル (デバイス/OS)やGoogle (検索=広告)。そしてFacebook (ソーシャル)などだ。プラットフォームがメディアであるのは、億単位のユーザーと情報発信者をつなぐ能動的存在であることによる。筆者はこれを「メタメディア」(=メディアのメディア)と称しているが、メディア/コンテンツのマーケティング、またそれらを使ったマーケティングに関して、とび抜けた情報力と可能性を持つ。

メタメディアは、それ自身もメディアであるが、むしろオーガナイザーとして振る舞い、ネット上で利用可能な(有償無償の)コンテンツ/サービスを積極的にメディア化し、商業化する。大小の企業から官公庁まで、今日のほとんどの事業体は、メタメディアを前提として、あるいはシミュレートし、詳細化する形で自身のメディア能力を拡張し、デジタル情報空間を満たしていく。発信・伝達に膨大なコストがかかる紙や電波の情報空間と違い、この空間では、多くのことが自動的・自律的・非明示的に行われている。そのことは、スマートフォンやタブレットのようなモバイルデバイスが登場するまではあまり意識されなかったが、今日では「双方向メディア」の携行はふつうになり、やがて様々な空間がメディア化されるだろう。

nested_polygon重要なことは「双方向」。つまりデジタル空間のメディアにアクセスする人は、様々な形で「ウォッチ」されており、逆にアクセスされるということだ。それぞれの側にコスト/リスクとベネフィットがある。「ウェアラブル」は、現時点で考えられる「メディア」の極限とも言えるだろう。コミュニケーションにおいて、この「双方向環境」は、ただの飛び道具などというレベルではない。意識に直接働きかけるという点で、危険な最終兵器に近い。

コンテンツ/メディアのギャラクシーとビッグバン

伝統的メディアは、デジタル空間のダイナミズムに付いていけない。彼らは既成のメディアが運ぶものがコンテンツだと人々に信じさせ、自らもその罠にはまったからだ。「メディアが運ぶものがコンテンツ」という思い込みは、かなり有効である。メディアがコンテンツの品質を保証し、ある程度は事実であったからだ。しかし、紙や電波でなく、通信を介するデジタル空間は、「信不信を選ばず、浄不浄を嫌わず」という性格のもので、それ自体は評価をしない(評価はメディアの機能/サービスとして外部化される)。この空間を利用は万人に開かれている。理論的には何でも/誰でもメディアになれるし、またコンテンツになる。そしてコンテンツもメディアとなる。逆に言えば、メディア性とは関係性でしかないわけだ。(→次ページに続く)


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